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「街に出る」という表現が好き

札幌特有の表現なのか、他の地方都市でも同じなのかは知らないけれど「街に出る」という表現が好きだ。

札幌でいう「街」は、市内で最も栄えた中心部一帯を指している。

大通から札幌駅を中心に、地下鉄にして4駅ほどだろうか。うちの実家は札幌の端っこにあって、街へ出るには公共交通機関で1時間ほどかかる。

街にはデパートがあって、ときどき買い物へ出かけた。

祖母と一緒に行くときはラッキー。母の買い物を待つ間、デパ地下で祖母に甘いものを買ってもらえた。絞りたてのフレッシュジュースや、ダブルのジェラート、量り売りのお菓子。そんなささやかな贅沢が嬉しかった。

街はたまにしか行けない場所。非日常そのもの。幼心になんとなく憧れがあったのを憶えている。

大学に入ると一転、毎日のように街へ通学するようになった。街に出る体験の希少性は失われ、憧れは日常になってしまった。

とはいえ、学校の空き時間に自転車に乗っては街をめぐり、庭が広がるのも、それはそれで楽しかった。

昨年、生まれ育った札幌を出て、横浜に越してきた。首都圏には、行ける「街」がたくさんある。これは地方から出てきた田舎者には大きなカルチャーショックだった。

例えば服を買いに行くにしても、いかんせん選択肢が多い。まずどの街に行くのか。新宿か、渋谷か、池袋か。仮に新宿に行くとしても、ルミネなのか、マルイなのか、高島屋なのか。結局、選ぶのが億劫になってしまって、近場のユニクロで済ませることがほとんど。

それで札幌に帰ると、いつも決まった古着屋なんかをめぐる。勝手知ったる「街」へ出て買い物をするのが専ら帰省時の楽しみになっている。「街へ出る」という表現の趣に気づいて、「街」の楽しみ方をまた一つ覚えた。

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