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服を買うことについて:認知の歪みを正し、良い服を正当に愛でるために

先日、冬服を新調した。

普段、服は滅多に買わず、着古して洗い替えが足りなくなったとか、必要に駆られてやっと買うくらいなので、クローゼットの中がこれほど充実したのは久しぶりだったりする。

我ながら珍しく気が向いて、自分で気に入って買ってきたもの。それに加えて、母から「クリスマスプレゼントに」と、一緒に買い物に出かけて店員さんに見繕ってもらったもの。

真新しい、良い服、お気に入りの服。

久々に充実したクローゼットに並ぶ服の中から、どう合わせてもかわいい今日のコーディネートを選ぶのは、素直に心地のよいものだった。

決してファッションへの興味が強い方ではないという自覚はあるものの、好きな服を愛でる程度には、自分なりの美的感覚はある。琴線に触れるセンスを持つインスタグラマーや、好きなブランドをフォローしたり、ユニクロのコラボラインをシーズン毎にチェックしたりするくらいの関心は持っている。

なのに、なぜ服が買えないのか。

服やコスメへの出費を抑えてでも、他の趣味や、生活の利便性にかけるお金を優先したい。 服を買うのが得意ではない理由は、この価値観に原因だと捉えていたけれど、じっくり考えてみると、どうやら他にも根深い理由があるように思えてきた。

服にお金をかけることに、抵抗感と罪悪感がある。そんな気がする。棚卸しできていない認知の歪みの気配。

歪みの1:服の価値

大学生の頃に、アパレル業界でアルバイトをしていたことがある。当時ニューオープンのファストファッション店だった。そこで、日々とんでもない量の安い服を扱って、食傷気味になってしまった。ただ着るだけの服の価値ってこんなものなのかと。

セールになると、とんでもない低価格で投げ売りされる服、服、服。定価で買うのが馬鹿らしく感じるほどの割引が入れ替わり立ち替わり行われるのに、消費者はそれを知ってか知らずか、たくさん買っていく。

世界規模で大量生産して、大雑把な在庫管理で各店舗に大量に仕入れ、短期間に売り切る。最後はわけのわからない割引率になってでも、限界まで在庫を捌いて、次の大量仕入れに備える。

日々レジを打ちながら、乱高下する割引率の変移と消費者行動を眺めて、一体どういう気持ちでこの光景を見ればいいかわからなくなった。この服の本当の価値はいくらなんだろう。服に対する金銭感覚が狂っていった。

裏側を知ってしまうと、自分が他店で買い物をするときや、バイトをやめてからも、変に穿った見方で見てしまう。服は安く買おうと思えば、いくらでも市場にあふれている。一般的な値段の服を高いと感じるようになり、安い価格帯の店でしか買えなくなった。

品質にお金をかける選択ができなくなってきて「良い服は良い」という当たり前のことが実感覚から離れていった。

良い服は良い。当たり前のことを今一度確認する。

歪みの2:自己イメージ

自分が良い服を着たところで、所詮、元が美人ではないし。どこかにそんな諦観がある。

本来は、安い服でも「これでいいや」ではなく「これがいい」という姿勢があればいい。アイテムを選び、質に満足して気に入って着ることができれば、必ずしも価格の問題ではない。

けれど、自分にとって多少高価に感じる服を避けるのもあまり良くない気がしてきた。ただ単純な金銭感覚としてお金がもったいないというだけではなく、どこか「自分にこんな高い服を着る資格はない」とか「こんな良い服を着たところで、素材が良くないから」みたいな、自分を卑下する思考が根底にこびりついている気がする。

良い服は良い。気に入った良質な服を見に纏うことは、セルフイメージの向上につながる。それが自分にとって高いと感じる服であっても、気に入るものならば検討に値する。「どうせ理想的な美しさにはなれない」という潜在意識から、好きな装いを諦めるべきではない。

最近どこかで目にしたけれど、こういった身の回り品は「5年後にどういう自分でありたいか」を想像して買うのがいいらしい。確かに、そう言われるとしっくりくる。雑に扱える安物ばかりを着倒すサイクルを、今後5年、10年と、歳を重ねても続けていきたいかというと、違う気がする。わたしの望む自分像は、日々、一つ一つ大切に扱うお気に入りで構成された姿。

歪みの3:買い物の決断軸

何かを決めるのが苦手だ。失敗したくないという思いが過度に強くて、長考しすぎる。

よくよく調べてからでないと買いに行けない。自分に合うであろうサイズの見当までつけて行く。どの服を買うかの判断が苦手で、一人で買い物に出掛けて数時間ぐるぐる見て回って、何も買わずに帰ることもザラにある。

オンラインで買えばいいのだろうけれど、どうしても着心地が気になる(HSP傾向があり、ちょっとした着心地の悪さが耐えられない)のと、買い物で失敗したくなさすぎてサイズを確認したいので、基本的に試着をしないと気が済まない。

数年前に、帰省した友達に見繕ってもらって即決で買ったコートは今でも重宝している。第三者、特にセンスに信頼のおける人に勧めてもらえると、サッと決めてすぐ買える。

リサーチと長考の甲斐あって、後悔するような買い物をしてしまうことは少ない。とはいえ、買い物で失敗したくない思いが強すぎるのも考えものだ。無限に時間を浪費する。失敗してもいいから買うと決めるでもいいし、絶対に失敗したくないから買わないと決めるでもいい。どこかで「えいや」と決断をすることが必要なのだろう。

実際は、勢いで買ったものが長く活躍することもあるわけで、気に入ったら買うということでいいのだろう。よくある言説だが「買う理由が値段なら買うな、買わない理由が値段なら買え」は、肌感覚的にも概ね正しい。

気に入ったものを悩みすぎずに買う、えいや力を身につけるのが、今後の課題。

今後の洋服との付き合い方を考える

着心地が気になるのは気質として仕方がないとはいえ、雑に扱いたいがゆえに安い服で済ませるのは徐々に減らしていきたい。身に纏うものは、セルフイメージに直結する。

少し面倒でも、良いものをメンテナンスして長く使う。服に対する認知の歪みを少しずつ矯正しながら、この先5年を見据えたワードローブを作っていこう。

新しく揃えた美しい服を眺めて、そんなことを思うなどした。