ドラムを叩き始めて10年くらいになるが、音楽を演奏することについて、ずっと葛藤を抱えてきた。大好きなことなのに、本気で取り組んでも中途半端な結果しか出せない。望む結果を出せるほど、自分がプレイヤーとしての適性を持っていないということには、割と早い段階から自覚していた。人よりできる「得意の種」は違うところにあって、少なくとも演奏に関しては、上級者層に食い込めるセンスも才能も、そして没頭力もなかった。
けれども、音楽は人生で初めて自分からやりたいと言い出したことだった。それを、自ら向いていないと認めるのはしんどい。向いていないことに対する努力はコスパが悪いから、努力の方向をずらした方がいい。それは至って合理的な判断だけど、諦めることができないままずるずると演奏を続けてきた。向いていないのになぜやるのか。このことで何度自問自答を繰り返したかわからない。けれど最近、この問題に対する回答が得られた気がする。いまのところだけど。
音楽がやりたい
この話の前提として少し自分語りをさせてほしい。
幼稚園児の頃にクラシックピアノを始めたのが、わたしの音楽歴のはじまりだった。園で仲良くしていた友達が「ねこふんじゃった」を弾いていて、羨ましくなったのがきっかけだったと思う。中学・高校では吹奏楽部で打楽器を叩いていたけど、本格的にドラムを叩き始めたのは仲間内でやっていたバンド活動でのことだった。大学時代にはジャズに傾倒して、その後東京に出たときは、ジャズ関係のつてでサンバチームに入った。人生通してそれなりに音楽を続けてはいたけど、子どもの頃から、音楽を専門的に勉強したい思いを抑えて抑えて生きてきた。
本当は、高校の時点で音高に入りたかったけど、自分には無理だと思って、普通の進学校へ行った。大学も音大に行ってみたい気持ちがあったし、そうでなくても音楽マネジメントの勉強をしようかと思ったけど、親の顔色を伺って国公立へ行った。どの進路選択も自分も心から納得した決断だったと、当時は思っていた。けれど、腹の底から納得した決断ではなかったのだろうと、今ではそう思ったりもする。それらの判断の良し悪しは置いておいて、人生のモヤりポイントの一つや二つになったのは確かだ。
結局、専門教育は受けないまま、すっかり大人になってしまった。自分のバックグラウンドを音楽とは言えない宙ぶらりんの状態にコンプレックスを感じながら、演奏活動や制作活動は続けていた。音楽への思いをこじらせたわたしは、アカデミアに表現の場を求めて、大学院へ進学した。
3年ぶりのシティジャズ
あれやこれやで大学院を修了し、2年住んだ横浜から札幌へUターンしてすぐ、大学時代のジャズ研の先輩のライブに行く機会があった。終演後にお酒を飲みながら雑談をしていたら、応募締め切りを間近に控えたシティジャズ(*1)の話になった。
「シティジャズは出た方がぜったい楽しいよ!出なよ!」
と勢い込む先輩に気圧されて、その場のノリで参加を決めた。考えてみれば、現役時代によく一緒に演奏した後輩2人が、まだ在学中だった。卒業してしまえば、あちこち就職して、また散り散りになるだろう。集まれるのは今年しかない。そう気づいて、彼らを誘って出てみることにした。
本番を前に、2回のリハーサルを組んだ。1回目のリハ終わりにはカレーを食べに行って旧交を温めて、2回目のリハ終わりには何をシメたのかわからないシメパフェで決起集会。一緒に演奏する仲間と食べるごはんは美味しい。美味しいご飯を共にした仲間とするセッションは楽しい。こういう時間が本当にかけがえのない尊い時間なのだと思う。リハを重ねるうちに、頻繁にセッションしていた2年前のような自由度がでてきて、やりたいことがやれるようになってきた。きっかけを出してみたり、乗ってみたり。自分の力不足をわかってはいるけど、やっぱりジャズは楽しい。
そして昨日が、そのシティジャズの本番だった。久しぶりの演奏に、舞台裏では緊張というか、なんだかそわそわして落ち着かなかった。けれども、ひとたび演奏が始まれば、ただただ楽しくて、アドレナリンがぶわっと出る。音楽やるってこんなにも楽しい。純粋に、余計なことは考えず、久々に実感した。荒削りな演奏でゴリ押した部分も多々あるけれど、思いの丈をぶつけるセッションはできたかなあと思う。メンバーがこのバンドでの演奏を楽しみにしてくれていて、本番も期待通りごりごりやってくれて。本当にうれしかった。3人が札幌に揃って、ライブの機会があって、聞いてくれる人がいる。こんな幸せなこと、そうないだろうな。
凡人プレイヤーの生きる道
技巧派でとんでもなく上手いドラムを叩ける人には憧れるけど、自分はそうはなれなかった。だからもう演奏はいいかな、と思っていたけれど、そういう安直な諦観は何も生まない。元々は、ただ自分の好きな音楽がやりたいだけだったはず。源泉には創作欲があったはず。なのに、自分の思うようにならないことを、色々こじらせすぎたのだと思う。
際立った才能もセンスもない凡人がプレイヤーとして生き残るためには、絶対的な技術を持ったプレイヤーになることに固執しない方がいいのかもしれない。逆説的だけど。むしろ、凡人であることを自覚し認めた上で、それでも自分のペースで腕を磨き、自分の表現を追求するという決断が必要なのだ。
わたしの場合は、音楽を創作する立場であることにはこだわっても、必ずしも楽器をプレーすることにはこだわる必要はないのだろう。楽器ができると人生は豊かになるけど、他の方法、例えば作曲、研究、メディアアートなどの形で音楽をアウトプットできるのであれば、プレイヤーとしての腕を追求しすぎない方が、コンプレックスと共存しながら精進できる気がする。無駄な自己否定感や嫉妬心を抱え続けるよりは、よっぽど生産的だ。
自分が演奏しても下位互換にしかならない演奏はあまりしたくないという思いがあって、今回、シティジャズのために新しい曲を3曲書き下ろした。オリジナル曲のストックはあるのだけど、ライブで同じ曲は二度とやらないことが多い。というのも、そのときのメンバーのために書いた曲しかやらないから。以前作った曲を同じメンバーでやることはあるけれど、別のメンバーではやらないようにしている。基本的に当て書きをする。いちいちオリジナルを書いていく方が、メンバーと一緒に作っていく感じがして楽しいし、そのメンバーでこそやりたい曲は、探すよりも作ってしまった方が早い気がする。裏を返せば、メンバーに依存しないキラーチューンを作れていないということでもあるのが悲しいところではあるけれど。
それでも、曲なら書ける。たぶん演奏よりは、まだ適性がある。
「できないからやらない」からの脱却
かつて自分の目指した高みに到達できなかったからといって、演奏することをやめるのは、なんだか違う気がしてきた。やりたい音楽はあるし、作れる。演奏したくなったら、一緒にやってくれる仲間もいる。演奏できる場所がある。演奏を聴きに足を運んでくれる人がいる。少なくとも今は。それで十分幸せなことだった。
足りない技術を自分のペースで地道に磨き続けるのもいい。そこにリソースを割かないで、自分のやりたい音楽を別の方法で創作していくのもいい。とにかく音楽をやっていればいい。演奏に関しては、一緒に演奏する仲間や来てくれる仲間と楽しく音楽を共有する。演奏することで、ジャズを通じて出会ったみんなとつながっていられる。余計なことは考えず、それだけでも自分が演奏する価値はあるんじゃないかと、最近はそういう風に結論付けている。
ジャズ漬けだったこの2日間、良い音楽を聞いて、たくさんの仲間と再会した。楽しい時間は終わってしまって、明日から日常に戻る。大学を卒業して終わりだと思っていたけれど、音楽でつながった絆は、音楽で保ち、深めることができる。尊い時間はいつまでも続かないけれど、演奏し続けていれば何度でも繰り返せる。月並みな言葉だけれど、音楽っていいなと、しみじみ噛み締めた。
今回一緒に演奏してくれたメンバーの2人と、聴きに来てくださったみなさん、本当にありがとう。
*1) サッポロシティジャズ。年1回、夏の札幌で行われるジャズフェス。期間内に行われる「パークジャズライブ」では、応募したプロ・アマチュアミュージシャンが街中のあちこちで場所で演奏する。
ぱるトリオこのあと18:35からです! pic.twitter.com/SrS2tOEbqC
— パル (@rupaling) 2017年7月15日