ミニマリストに憧れていた。
スーツケース1つでどこでも行けるくらい身軽で、物への執着が無い状態は限りなく自由だと思っていた。
そもそも物を減らそうとしたのは、札幌から上京して部屋が狭くなったからだ。箱が小さいのだから中に入れる物を減らす発想は必然である。
いつ使うのかよくわからない書類や、ずっと使っていなかった化粧品、読了した本。思い切って物を手放すと、部屋も心もすっきりする。
が、ある時、物を処分することそれ自体に快感を覚えるようになってしまった。止まらなくなった。
物を減らすことはよりよく暮らすための手段だったのに、いつしか物を捨てることそれ自体が目的化してしまったらしい。
捨てられるものを手当たり次第探すようになった。あれもこれも無くていいかな、と処分し始めて、でも後から少し後悔した。
最近になって、ただ物を減らす、捨てる、という行為がとてつもなく虚しいものであるような気がしてきた。
厳選に厳選を重ねて物を減らすことが、必ずしも良いとは限らない。
かさばるけれど、ベッドがあった方が睡眠の質は良いし、除湿機があった方が洗濯物が早く乾く。かつて読んだ本も折にふれて読み返すと新たな発見があるし、服や化粧品だって気に入ったコレクションから毎日選べる方がワクワクする。
「物を最小限にした暮らし」より「お気に入りの物に囲まれた暮らし」の方がしっくりくる。ミニマリストというより、所謂シンプリスト的な考え方。身の回りのもの全て、それを選んだ理由を説明できるような部屋に住めたら最高。
あまり潔癖になっても仕方ない。理想の暮らしを目指して、あれこれ試してみよう。