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【ネタバレ】『ジャンケットバンク』125話 感想 :田中一行作品に見る、敗北の美学

シヴァリング・ファイア決着。

125話「コールアンドレスポンス」のネタバレ感想です。

筆者は田中一行先生の作品が大好きで、過去作の『イコン』、『エンバンメイズ』、『概念ドロボウ』も履修済み、本作もヤンジャン連載で最新話を追っているほどなのですが、その全ての話の中でも、今回は5本の指に入るほど忘れられない回になりました。

まさに、田中先生の作品のこういうところが好きなんですよ。本当に良い幕引きでした。

というわけで、心ゆくまで長文感想を綴ります。

▼ 最新刊(2023年8月30日現在)。本記事はこの先の話のネタバレを含みます。

当記事は『ジャンケット・バンク』本編、125話(vs 眞鍋 シヴァリング・ファイア編決着)までの重大なネタバレを含みます。単行本派の方はご注意を。








前回までのあらすじ

  • 眞鍋は勝利を確信。真経津部屋に極寒の風
  • 真経津が温度差で脆くなったガラスを割って脱出
  • 眞鍋キュビズム顔

今回のあらすじ

  • 決着、鏡パリーン
  • 2人の対話、眞鍋の成長
  • 下校

125話「コールアンドレスポンス」感想

真経津との対話に見る、眞鍋という人間の本質

美しい決着だった。

最初こそ想定外の事態に取り乱す眞鍋だったが、負けを認めてすぐに平静を取り戻す。

「子供たちは 完璧なルールがなくても幸せになれるか?」
「もちろんだよ なっちゃいけないってルールもない」

集英社 ヤングジャンプ 2023 No.39
田中一行『ジャンケットバンク』125話「コールアンドレスポンス」

この期に及んでなお、眞鍋が案じるのは子供たちのこと。先ほどまで煽るような表情で種明かしをしていた真経津も、虚を突かれたような表情から、少し困ったように微笑み、誠実に答える。

真経津の答えを聞いて、鳩が豆鉄砲食ったような眞鍋の表情を見れば思ってしまう。おそらく眞鍋の全ての言動は、素直な彼が理性的に考え詰めた結果であり、ちょっとした気づきで楽になれそうなことに、本気で悩んできたのだろう。

眞鍋という人間は、決して善人ではなかった。子供を守りたい強い思いは、不完全な大人への攻撃性に転じ、立派な大人の定義をこじらせた結果、こんなところまで来てしまった。

けれど同時に、彼は根っからの悪人でも、狂人でもないように思える。時に狂気的にも見えたほどの「人の成長を心から喜べる」気質と、子供たちの幸せを第一に願う思いは、紛れもなく本心からのものだった。倫理観は歪んでも、根底にある信念だけは決してぶれない。

自分や他人についたバツを許容できず、過度に内面化された社会規範にがんじがらめにされて、さぞ生きにくかったことだろう。

ある意味可哀想な人とも言えるが、ずっと探し方を間違えていた答えにようやく至ったことは、彼にとってはせめてもの救いだったかもしれない。

成長の価値

「頑張ろう 晨 成長には価値がある」
「たとえ残りの人生が 今日しかないとしても」

田中一行『ジャンケットバンク』 12巻 – 112話「成長の始まり」

かつて、狂気的な笑顔で煽るように真経津に語りかけたあの言葉。敗北確定の特大ブーメランにどんな表情をするのかと思えば、

「やっぱり成長には価値があるな たとえ今日が人生最期の日だとしても」

集英社 ヤングジャンプ 2023 No.39
田中一行『ジャンケットバンク』125話「コールアンドレスポンス」

憑き物が落ちたかのような、いい笑顔。あまりにも爽やかすぎる。

本来の彼は、負けを素直に認める謙虚さと、自分の成長を喜べる向上心がある。真経津に気付かされて初めて、減点法で採点してきた己の過ちを自覚し、完璧でない自分と他者を肯定することを覚えた。

認知が歪んで大人を許せなくなっていたけれど、成績不振でもアサガオを立派に咲かせた生徒を評価できるのだから、もともとは人が持っているマルを数えられる素養はあったはず。成長の価値を人一倍信じていたのにどうしてこんなことに。

美しきコールアンドレスポンス、教師の生涯の完成

「さようなら 先生」
「ああ 気をつけて帰れよ」

出典同上

まるで学校の下校風景が見えてくるかのような、お決まりのコールアンドレスポンス。

教育者としての矜持と信念を貫き、最期まで教師であり続けた。そんな眞鍋をおそらく「面白いヤツ」認定していた真経津。ここが1ヘッドでなければ、マフツフレンズ入りもあり得ただろう。ここまで一貫して「眞鍋さん」と呼んでいたのを、対話を経た最後の最後に「先生」呼びで締めたところに、対戦相手へのリスペクトを感じる。

本作をメタ視点で見て、身も蓋もない言い方をしてしまうと、主人公と1ヘッドで対峙してしまった時点で、眞鍋瑚太郎というキャラクターはたった1ゲームでの退場を運命付けられていた。お約束をかなぐり捨てる主人公退場エンドか、ご都合主義の2人生存エンドしか、彼が生き残る道はなかった。

不可避の運命を背負ったキャラクターをここまで丁寧に描いたこと。真経津とのゲームを通じた対話を経て生涯を完成し、尊厳ある立派な最期を見せたこと。

作中における1ヘッドの初戦としてこの上なく粋な演出であり、同時に1ヘッド級の格を下げない妥当な落とし所でもあると感じる。

第四の壁を超える幸福論:マルを数えて生きよう。

ジャンケットバンクという漫画におけるあらゆる戦いは、しばしば哲学バトルの様相を呈する。それがまさにこの作品の魅力の一つであり、悪趣味なゲームやそれに伴うグロ描写はそこそこに、気の利いた台詞回しや、お洒落な煽り合い、そしてその根底にある哲学的な対立にもスポットライトが当たる。

今回の眞鍋戦のテーマは「立派な大人とは?」「幸せな人生とは?」。

ゲーム中の眞鍋の言動は、何者でもない凡人のまま大人になった人間に対して、ひどく厳しいものだった。

凡人、それはつまり大多数の我々読者をも指している。彼の言動の一つ一つは我々の耳にも痛い。願いは叶う前に分からなくなり、望んだものを苦労して手にしたとしても「で?コレがなんなの?」。幸福には教科書など存在しない。

真経津とのゲームと対話を通じて、眞鍋が最終的にたどり着いた結論。

「いいんだ 君たちにはたくさんのマルがついてる」
「幸せになってください」

出典同上

幸せを完璧なルールで定義する必要はないし、ままならない人生も加点法で捉えれば、そこに多様な形の幸せはある。社会で形成された尺度に照らさずとも、何か立派なことを成さずとも、人は幸せになれる。幸せになっていい。

誰もいない教室で、こちらに語りかけるように遺した言葉は、本当に第四の壁を超えて、我々読者へのエールでもあったのかもしれない。連載版でのアオリ文「マルを数えて生きよう。」も、じんわり沁み入る言葉選びだった。泣きそう。

しかし、LiAといい、これといい、荒療治が過ぎるギャンブルカウンセリングだ。

田中一行作品に見る、敗北の美学

作中初の1ヘッド戦決着回。固唾を吞んで待つ読者を前に、敗者がみじめに足掻く姿を長々と見せるわけでもない。グロ描写で敗者のペナルティを最後まで見せるわけでもなかった。

では何を見せられたか。散り際の美しさである。

田中一行先生の作品で「美しい敗北」が描かれたのはこれが初めてではない。

本作でいえば、獅子神戦・気分屋ルーシー決着などにもその一端を感じたし、過去作の『エンバンメイズ』でもここぞという場面で美しい敗北の描写があった(ネタバレ回避のため、ここでは詳細を省く)。

これまでの作品を読んできて、そして今回のジャンケットバンク125話を読んで確信したが、田中先生の作品には「敗北の美学」が通底しているように感じる。

それは、ゲームでの負けに、ただの勝敗決着以上の意味を持たせているということである。単に演出として散り際を美しく飾るのではなく、敗者の人生において、その敗北を深く意味づける描写をしている。

田中先生の作品において、敗者が酷い目に遭うことは日常茶飯事だが、そこで悪趣味なペナルティの描写をそこそこに、どこか救いを感じる描写にふわっと着地させることがある。その救いは作中の登場人物たちに向けられたものだが、同時に我々読者にも開かれている。

しんどいエピソードを描きつつも、じんわりと温かく傷を癒やし、前向きになれる読後感を残してくれる。田中先生のこのさじ加減がとても好きだ。

余談:眞鍋先生と高柳先生

眞鍋先生のキャラデザインは『ここは今から倫理です』の高柳先生のオマージュなのだろうか。タートルネックに前髪長めなビジュアル。

表紙だけ見て雰囲気が似ていると感じていたので、こちらの作品も読んでみた。こちらもこちらで個人的なツボにどハマりしたので、その話は追い追い別の機会にするとして。

実際読んでみると、倫理観をバグらせた「教育災害」の眞鍋先生は、遵法精神を重んじ、少なくとも社会的には圧倒的「善人」の高柳先生とは似ても似つかない。ちゃんと別のキャラクターとして描写されている。

けれども、この作品からの影響が全くないとも思えない。実際に参照されたかどうかは、公式で明言されていない(多分)ので定かでないけれど、眞鍋先生には ① ビジュアル、② 生徒への激重感情、③ 哲学的思考、この3点で『ここは今から倫理です。』みを感じる。

特に3つ目の哲学的思考については、シヴァリング・ファイア編での哲学バトルを彷彿とさせる部分があった。それが、高柳先生が、全てわかった気になっている生徒に語りかけた言葉。

“誰もが自分の視野の限界を世界の視野の限界だと思っている”
ショーペンハウアー

雨瀬シオリ『ここは今から倫理です。』1巻 – #2 くだらない人間

まさに、自分の視野の狭さゆえに世界の広さを見誤った、眞鍋先生の敗因。

そう考えると眞鍋先生も、全てを知った気になって傲慢になってしまったのは、シンプルに勉強不足が原因だったという解釈もできる。凡庸な他人の人生を読み解く暇があるなら、無知を知り、先人の遺した言葉や思想を勉強し続けていれば、自分を悩ませる哲学的な悩み事にも、何かヒントが得られたかもしれない。

やっぱり成長には価値がある。

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