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【気胸】コロナ禍の札幌で一晩に2回救急車に乗った話

2021年7月某日、世間ではちょうど東京オリンピックがドタバタと開催されていた頃の話。夜、自宅で突然の動悸と呼吸苦で倒れそうになり、人生初の救急車に乗りました。それも、いろいろあって一晩に2回。

治ってからも、不安からくるパニック発作的なものに悩まされたりして、脱稿までだいぶ時間がかかってしまいましたが、コロナ禍の札幌で別の病気で救急搬送された一例として、そのときの話を書き残しておきます。

  • 当記事で述べることは、あくまで一患者の体験と解釈に基づきます。医学的に正しい情報や表現であることを保証できません。
  • 今回の件は、コロナ禍の2021年7月の札幌での出来事です。地域の制度や時期・情勢の違いによって、各所の対応や最適な行動も異なると思われます。

気胸でした

結果から言うと、肺に穴が開く「気胸」でした。若くて細い長身男性がよくなるやつ。女性では割と珍しいようです。

右肺がほぼ潰れてしまった高度(Ⅲ度)の自然気胸ということで、搬送先で専門医の処置を受けた上で、そのまま入院。処置後も空気漏れが止まらなかったのと、再発リスク軽減のために、数日後に手術を受けました。

実は、この件の1ヵ月前には膝の半月板の手術を受けたところでした。まだ2/3荷重の段階で、松葉杖も取れていない状況下に、別件の救急車案件。我ながらあまりにも災難すぎて、厄年を疑いましたね。違ったけど。

今回、医療リソースの逼迫する情勢の中、最善を尽くして助けてくださった各所の医療関係者の方々には頭が上がりません。本当にありがとうございました。

一方で、コロナありきの社会における救急で、一市民が適切な医療に繋がることがいかに難しい状況になっているか、身をもって体感しました。

特に、発熱や呼吸器症状がある場合、コロナ疑いが先に来てしまって、関係ない疾患だったとしても場合によっては手遅れになるケースもあるのではないかと想像します。

一連の経緯をざっくり要約

今回、一晩に2回も救急車をお願いしてしまうことになった状況には、どうにもならない経緯がありました。事の一部始終は別の記事に記録するとして、ここではざっくりと、何があったかまとめておきます。

突然、動悸と呼吸苦で倒れそうになる

#7119経由で救急車を呼ぶ

救急車に乗る(1回目)

夜間診療所(入院設備なし)に搬送される

心電図だけとって、異常なし

医師「わけがわからない症状。コロナを疑う。ここでは何もできない」

気管支拡張の貼り薬と解熱剤をもらって帰される。母の車で帰宅を試みる

呼吸苦が悪化。家の前で、車から降りられなくなる

やむを得ず、再度救急要請

救急車に乗る(2回目)

1回目と別の隊に、もう一度夜間診療所へ搬送されそうになる

ここまでの経緯と症状を説明して、別の搬送先を強く希望。
呼吸器科と入院設備のある総合病院に搬送される

搬送先病院でPCR陰性。レントゲン・CT撮影

医師「肺に穴空いてる。入院」

この間4〜5時間程度。紆余曲折の末、二度目に搬送された先の病院で、無事適切な治療を受けることができました。

今回得た知見

今回の知見としてお伝えしたいのが、一市民が急病時に自分を守るためには、いくつかの心構えが必要だということ。

一市民が急病時に自分を守るための心構え

  • 自分の身体の「絶対におかしい、緊急性が高い」という感覚は信じて、必要なら喋れるうちに救急車を呼ぶこと
  • 制度上どうにもならないことや交渉の余地がないことで揉めずに、最短で然るべき手順を踏むこと
  • わがままは言わずとも、望む医療に繋がり、主体的に治療を選択するための意思表示はすること

この辺りの姿勢が奏功して、今回は遠回りしながらも適切な医療にアクセスすることができたと思います。

最初に搬送された夜間診療所では、呼吸器症状と発熱からコロナ疑いが先行し、十分な検査や診察がなされることなく、気胸を見逃されてしまいました。外出歴は膝の件で療養のためほぼ引きこもりで、濃厚接触者に該当するような事情もなく、コロナ罹患の可能性を比較的考えにくい状況であってもです。

あのとき、コロナ疑いで早々に思考ロックした夜間診療所の医師に食い下がらずに、別の方法に切り替えたこと。そして「やっぱりおかしい」と確信して再度救急車を要請した際に、搬送先についてこちらの希望をはっきりと伝えたこと。

結果的に今回は、これらの判断が適切な医療機関へ繋がる分岐点になりました。

一患者が突然の呼吸器疾患で初めて知ったこと

それから、大きな病院で診てもらうような呼吸器疾患を初めて経験して、気づきもありました。一般的な話ではなく個人的な所感です。

  • 肺がほぼ潰れても、呼吸器の異常であることが自覚できない。初めての感覚なので、動悸やめまいなどの随伴症状に気を取られて、最初に気になる自覚症状が胸痛や呼吸苦であるとは限らない。胸痛に至ってはひどい肩こりだと思っていて訴えることすらしなかった。
  • SpO2 92%くらいで、すでにかなり苦しかった。息が吸いきれなくて、単語でしか喋れず、息切れがひどい。今すぐ窒息は無いにしても、体感としては、放置すれば命の危険を感じるレベル。
  • 呼吸苦は、一度体験するとかなり怖い。トラウマになりかねない。

医療逼迫は他人事ではない。コロナ禍では別の病気も怖い

普段ですら救急で必ずしも適切な医療に繋がれるわけではないと思いますが、コロナ禍でさらに高度な医療へのアクセス難度が上がっていることを体感しました。

今回、医療リソースが逼迫する情勢の中、結果的に救急車を一晩に二度も出動させてしまったことは心苦しい限りでした。

ただ、一市民にはこれ以上どうしようもなかった。現行の制度と情勢の中で、自分の身を守るために自分でできる手立ては尽くしたと思います。

それから、今回は幸運にも2回目の救急搬送先がすんなり決まって呼吸器外科の専門医に診てもらうことができましたが、これには緊急度や重症度に加えて、運要素も少なからずあると感じました。

そのタイミングで該当の専門医を擁する入院可能な受け入れ先病院があり、患者本人→救急隊員→当直医→専門医と、全員の正しい判断のリレーがなければ行き着けないものです。また、今回のように遠回りしても間に合う程度の緊急度だったのも、不幸中の幸いでした。

いくら気をつけていても、防ぎようのない病気や怪我に見舞われることはあるわけで、いま健康な人も突然救急車のお世話になる機会があるかもしれません。

いたずらに不安を煽りたいわけでもないし、そんな機会無いに越したことはないけれど、地域の救急にまつわる情勢は他人事ではないという心構えだけは、ぜひ持っていた方が良いです。

医療関係者のみなさま、ありがとう

何はともあれ、今回は適切な医療を享受することができました。実は退院後も色々ありましたが、なんとか体調も安定してきています。

正しい診断と、適切な処置を受けて良くなっていく身体を感じながら「医療ってすごい!」と思うことがたくさんありました。月並みな言葉だけれど、助けてくださった皆さまには感謝の気持ちでいっぱいです。本当にありがとうございました。

今回、呼吸苦で朦朧とする意識の中「死ぬのでは?」という感覚を人生で初めて経験しました。体感ではそうだったというだけで、生命を脅かすという意味では実際どの程度の状況だったかはわかりません。でも、生きることを望んで自ら助けを求めたことは事実。これを機に心境に変化が生まれて、助けてもらった命をちゃんと生きて全うしなければという気になりました。あれだけたくさんの方に動いていただいて、もはや自分だけの命ではないなと思うのです。人に助けられて生きているのは、今に始まったことではありませんが。

あの日以降、何の気なしに「死にたい」というような言葉を使うことを避けるようになりました。たとえ家で呟く独り言や、声に出さない考え事であっても。意識的に「しんどい」に置き換えたりして、自分に対しても「生きる」を前提に言葉を選んでいます。言霊ってありますからね。

 

次の記事からは、入院中の日記を連載していきます。

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